職人の感性で造る あらたな器
実際に窯元を訪ねて、土を触り感じるものを料理人の感性で器づくりを行います。 その器に盛られた料理をイメージしながら、器を造ります。 料理人の感性で仕上げる器を実際の店舗で使用する事で初めて価値が生まれます。 我々としては、その土地の「ものづくり」を支援しながら伝統産業を守っていきたいと考えます。 その為には、料理人の感性で造りだす「器」も新たな可能性を秘めていると感じます。
<事例>
島根県の伝統工芸品「石見焼」
「はんどう」と呼ばれる大きな水がめの産地として、大物をつくる技術が磨かれてきました。 高い技術力を生かした、暮らしに寄り添ううつわはいまも健在です。 江戸時代の宝暦年間(1751~1764)から本格的に生産が始まったとされている石見焼。 窯元を訪ねると、窯や工房の片隅にかつて盛んにつくられていたはんどうの実物を見ることができます。
石見焼 雪舟窯
石州ゆかりの雪舟の伝統にあって、深く雪舟に傾倒してその精神を何とかして陶土の上に再現したいと長年研究せられたのが福郷柳仙氏である。 氏は雪舟の芸道の心をそのまま釉薬に潜ませようと、苦心惨憺、逆に独特の錆雲・小波釉雲の法等数種の特技を考案せられるに至った。 昭和二十年、土を求め行脚の末、石州今市加賀羅山麓に最適最上の土を得て、ここに古法そのままの松薪を燃料とする登り窯を築いたのである。 爾来その輩出する名器は、民芸界、茶道界、数奇者等多方面から愛好せられ、いつの間にやら雪舟焼と呼ばれるようになったのである。
※こちらの器は、江戸蕎麦僖蕎にて使用しております。
石州瓦 亀谷窯業
「受継ぐこと、新しくすること。」 寛延元年、浜田藩の瓦師として瓦を製造した亀谷初代岩田清次。200年以上もの月日受継いできたこだわりは2つ。 来待石だけの釉薬と焼成温度1350度、七代亀谷博幸が「来待をやめるなら瓦屋をやめる」と頑なにこだわり続けた先代の意志。 石見の国に石州瓦が生まれた歴史、本物の瓦づくりを引き継ぎます。